草野球日記

備忘録です

メディアについて考えてること

 

 

こんにちはー。

 

最近、暇なので記事を書きまくっています…w (勉強しろっ!笑)

 

 

まあまあまあそれはさておき。

 

 

 

今日はメディアの話をしたいと思います。

 

 

メディアといっても様々な体系があることは理解できると思います。

 

テレビだけでなく、ラジオ、SNS、雑誌YouTube、新聞、ネット記事など様々な媒体があり、どこからどこまでをメディアとするかは個人の解釈に委ねられるでしょう。

 

 

これも私のイメージになりますが、全年齢層がもっとも取っつきやすいものとして日本はテレビが主流だと思います。

 

 

年齢層によっても、何をメディアというかが変わってくると思うんですよねー。

 

 

具体的に話すと、おじいちゃん世代は新聞やテレビ、中年層はテレビ、スマホ記事、僕なんかの若者世代になってくるとテレビは見ないでスマホだけがメディアに等しい!なんて人もいるかもしれないという事です。

 

 

 

実際に、僕はテレビをみませんし、みたとしてもその情報を簡単に信頼はしません。

 

 

 

なんなら、YouTubeやネット記事の方が信頼性が高いと僕は思っています。

 

 

その理由として考えられるのは、テレビも会社によって運営されているので、それぞれの意向が反映されやすいからです。

 

 

 

何をもって情報を信頼するか。それは個人の自由だと思いますが、テレビは偏向報道と言われても仕方のないものが増えすぎているので、それなら本音を喋ってくれているネットから正しそうだなと思う情報を取り入れる方が僕は好きですね。(これもまた難しいのですが…笑)

 

 

 


テレビはドラマがあるから面白い!とかお笑いあるじゃんという意見もあるとは思いますが、オンデマンドで後から見ることもできるし、YouTubeなどの動画サイトでみることもできる(違法なものもあるけどね)

 

 

 

アメリカなどになってくると(アメリカしか分からない)テレビのチャンネルが多くて、色々なコンテンツが一気に見れます。

エンタメ、映画、コメディ、教育…(まあ一緒か)

 

 

 

違うところを挙げるとするなら、チャンネルの量。日本みたいにNHKだけが真面目な報道をしているということはあまりないのかなと思います。

 

 

(一通りチャンネル回してみたけど、つまんなかった… 英語力の影響もあるのか?笑)

 

 

 

情報が人を左右すると言っても過言ではない現代。あなたがどの情報を信頼し、とどめておいたり、発信していくかはまずはソース選びが重要なのでは。

 

あと私の最近ハマっている落合陽一さんとSNS発若者タレントのマネジメントをしている対話が今の話と重なっていて面白かったので、リンクを貼っておきます!

 

↓↓↓

https://youtu.be/ifuY7RBcjQI

 


以上。

 

 

ではまた!!

 

数学の必要性について

先日たまたまYouTubeを観ていたのですが、林修先生が数学は国・数・英・理・社とあるうちで1番必要であると説いていました。

動画のリンク↓

https://youtu.be/AF4CmAoWZ98

 

というのは単に計算能力だけでなく、数学的思考が日常生活に生きるということなのです。

 

動画の中で林先生が例に挙げていたのは、4人の人が林先生と写真を撮りたい場合に数学的思考を使えば全員で一回撮って終わらせるのではなく、全ての人の組み合わせが15通りであると考えられることから、1人ずつあるいは色んなパターンで写真を撮ってもそんなに時間がかからない計算が瞬時にできるということです。

 

(15通りはちょっと多すぎるかもしれませんがね、、まあそれくらいの時間ならとっても全然構わないと林先生は判断したのでしょう)

 

数字はニガテという方もいらっしゃるとは思いますが、計算式をこちらに挙げておきます。

 

A,B,C,Dと林先生の4人がいた場合、

この中から4人を選ぶので、まず林先生を含まない全員の組み合わせは考えずにあとで1通りだけ引くとすると

 

A 撮る or 撮らない =2通り

B 撮る or 撮らない =2通り

C 撮る or 撮らない =2通り

D 撮る or 撮らない =2通り

 

それぞれを掛け合わせて

2^4=16 最後に1通りを引いて15通り

 

こんな具合に答えが出るという訳です。

 

林先生のように日常でこんなことがすぐできたらいいですけど、私のような文系人間には意識的にやらねばキツイでしょう。

 

コメント欄を見てみると、「他にポーズを加えたり撮り直しがあったらまた変わってくるじゃないかー」とか「数学なんて大事やないやろ」などと書いてあってまあその人にはそれは正解なんだろうなと私は思います。

 

林先生のことですから、ポーズのことについては加味しているはずでしょうし、相対的に見た上でこれからの時代はそういった数学力が必要になってくるという持論でしょう、、おそらく。。

 

【余談】

筆者も高校生の頃、東進ハイスクールに通っており、林先生の授業は受けていませんでしたが、数学の授業はよくとっていました。

 

最初はニガテ意識しか持っていなかったのですが、ある1人の先生と出会うことにより、私の受験人生、いや、人生が変わったといっても過言ではないでしょう。

 

その先生とは大吉巧馬先生です。

 

一見チャラそうに見えるのですが、とても優しい語り口で文系で数学が頭打ちだった私にも非常にわかりやすい授業でした。

 

数学を暗記でやっていたような私でしたが、彼の理論がスルスルと頭に入ることで、さらに楽しくなり、ずーっと数学を勉強していた記憶があります(笑)

 

 

まあ、なんでこの話をしているかということなんですが、東進の数学の先生って授業を淡々とするだけでなくて、丁度いいタイミングで休憩するかの如く数学的に深い話をしてくれるんです。

 

さっきYouTubeで別の動画を観ていたのですが、ガウスという数学者が小学生の時に

1+2+3+・・・+99+100=

という問題に対し、

1+100=101

2+99=101

3+98=101

というようアプローチをとり

101*50=5050という答えを瞬時に見つけ出したという話をみて、東進でもこれが数列の和にまつわるという話を誰かがしていたなーと懐かしんでおりました。

 

要は、その数学の先生の授業をもう一回聴きたいなー、受けたいなーと考えているということです。

 

(今は流石にキツイですが、、笑)

 

まあ将来時間とお金の余裕があるときに東進衛星予備校がまだ存在していたら、数学だけでなく、理数系の自分の関わらなかった分野も極めたいという野望があります!!!

 

(数学の必要性の話なのにかなり脱線しました…笑笑)

 

以上、今日は筆者が数学について熱く長く語りました(アレ?)

 

 

 

P.S

アメリカはもうすぐサンクスギビングの休みなので、これを機にLAへ旅行へ行ってきます。写真はアップしないですが、感じたこととか、また英語記事なんてのも書けたらいいのかなと思います…!

 

ではまた!!

 

 

 

 

 

 

 

AI

極論、人類は自分のやりたいことだけをやればいい。

 

これからの時代、魔法とも思えるような現象が人工知能の進化とともに絶対起こる。

 

スーパーでの買い物をした時の決済は現在あるような無人精算レジを介さずとも、退店時のドアが自動で商品の値段を読み取り、顔認証システムと決済方法を連動させて手間が省ける。

 

飲食店でもレシピをディープラーニングさせた機械に料理をさせ、回転寿司方式(あるいはロボットが運ぶ)ことによって人件費を削減。

 

これは一例に過ぎないが、スーパーや飲食店の仕事は必然的にどんどん減ってくる。

 

解釈によっては、AIが人類の仕事を奪うとも言えるし逆も然り。

 

AIに使われてたまるか。

 

我々がAIをうまく利用してやるという気持ちが無ければ、時代の波に飲み込まれるだろう。

 

今、私がこういった記事を書いているのは時代の流れに乗った議論のできる人を探しているためだ。

 

私は、たまたまYouTubeスマホで朝生という討論番組に出演していた落合陽一氏の文理に囚われない知識と才能に感銘を受けてAIのことに少しずつ興味を持ち出した。

 

文系の自分がAIなんて、と思っていたが案外とっつきやすく身近な話題でもあるので気軽な気持ちで彼のことやこれからの時代のことについて興味をもっていただけたらと思う。

英語教育について考えてること

英語教育に対し、どのような考えがあるのかという質問を知人から受けたので私なりの解釈をここに貼る。

 

まず私にはどうしてそこまで英語教育に拘るのかが理解できないが、
もし英語をできるようにさせたいなら、まず4技能(Reading,listening,speaking,writing)のうちどの能力を重点的に伸ばさせるか考えるべき。

 

それと学習者に対して、英語学習のモチベーションが続くような指導をさせるべき。(英語ができることによるメリットを教える、そのものの楽しさを教える)

 

それが小さい子供相手であるなら、シャワーのように英語を浴びせて習得させることも可能であるが、ある程度以上の年齢(正確な年齢は忘れた)なら第二言語習得のメソッドに基づいて教育した方がより効果的である。

 

 

個人的には現行の英語教育ではある程度それができていると思うし、できない人が表れてしまうのも仕方がない。

 

 

なぜなら、教師が生徒に教えたことが必ずしも生徒の納得のいく理論だとは限らないからだ。

 

 

もちろん、英語教育が重要であるということは私も理解している。

 

 

だが、皆が皆英語だけができてしまうような教育だとつまらない。

 

 

同じような人材を作る教育ではなくて、個人の才能を開花させる教育に文科省は力を入れていくべきであるというのが私の意見である。

 

【追記】2020.04.18

人材の同質化が図られるように文部科学省は教育をしていないですし、新しい教育が施行されるまでには時間がかかるもの。

 

2年半前の自分がいかに社会を見れず上っ面で語っていて、それと同時に自己の成長と社会の目まぐるしい変化を身をもって感じている今日この頃です。