AI
極論、人類は自分のやりたいことだけをやればいい。
これからの時代、魔法とも思えるような現象が人工知能の進化とともに絶対起こる。
スーパーでの買い物をした時の決済は現在あるような無人精算レジを介さずとも、退店時のドアが自動で商品の値段を読み取り、顔認証システムと決済方法を連動させて手間が省ける。
飲食店でもレシピをディープラーニングさせた機械に料理をさせ、回転寿司方式(あるいはロボットが運ぶ)ことによって人件費を削減。
これは一例に過ぎないが、スーパーや飲食店の仕事は必然的にどんどん減ってくる。
解釈によっては、AIが人類の仕事を奪うとも言えるし逆も然り。
AIに使われてたまるか。
我々がAIをうまく利用してやるという気持ちが無ければ、時代の波に飲み込まれるだろう。
今、私がこういった記事を書いているのは時代の流れに乗った議論のできる人を探しているためだ。
私は、たまたまYouTubeでスマホで朝生という討論番組に出演していた落合陽一氏の文理に囚われない知識と才能に感銘を受けてAIのことに少しずつ興味を持ち出した。
文系の自分がAIなんて、と思っていたが案外とっつきやすく身近な話題でもあるので気軽な気持ちで彼のことやこれからの時代のことについて興味をもっていただけたらと思う。
英語教育について考えてること
英語教育に対し、どのような考えがあるのかという質問を知人から受けたので私なりの解釈をここに貼る。
まず私にはどうしてそこまで英語教育に拘るのかが理解できないが、
もし英語をできるようにさせたいなら、まず4技能(Reading,listening,speaking,writing)のうちどの能力を重点的に伸ばさせるか考えるべき。
それと学習者に対して、英語学習のモチベーションが続くような指導をさせるべき。(英語ができることによるメリットを教える、そのものの楽しさを教える)
それが小さい子供相手であるなら、シャワーのように英語を浴びせて習得させることも可能であるが、ある程度以上の年齢(正確な年齢は忘れた)なら第二言語習得のメソッドに基づいて教育した方がより効果的である。
個人的には現行の英語教育ではある程度それができていると思うし、できない人が表れてしまうのも仕方がない。
なぜなら、教師が生徒に教えたことが必ずしも生徒の納得のいく理論だとは限らないからだ。
もちろん、英語教育が重要であるということは私も理解している。
だが、皆が皆英語だけができてしまうような教育だとつまらない。
同じような人材を作る教育ではなくて、個人の才能を開花させる教育に文科省は力を入れていくべきであるというのが私の意見である。
【追記】2020.04.18
人材の同質化が図られるように文部科学省は教育をしていないですし、新しい教育が施行されるまでには時間がかかるもの。
2年半前の自分がいかに社会を見れず上っ面で語っていて、それと同時に自己の成長と社会の目まぐるしい変化を身をもって感じている今日この頃です。